伴侶とは

アラサ―の独身女性ともなると、そこそこお金に時間に余裕があり、自然と、まだまだ結婚のけの字も見えない友達が周囲に集まる。水曜は新大久保でサムギョプサル、土曜は白金の創作イタリアン、日曜は(多少の罪悪感で)自炊でも。といった感じで、お酒をがぶがぶ飲み、美味しいご飯をばくばく食べる。
鉄板でニンニクやキムチとともに焼く分厚い三枚肉、うにとかにとえびがたんまり乗ったピッツア、高知直送のかぼすポン酢をかけた白菜豚肉蒸し、とってもおいしいものを食べながら思うのは、田舎のお母さんにも食べさせてあげたいなぁ、ということだ。
「あ、おいしい」と思うと同時に、ハリセンボン春菜似の母の顔が浮かぶ。
私がおいしいと思うものを、大事な人に食べてもらいたいと思うから。
私が人生の伴侶を見つけたら、おいしいものを食べて思い浮かべる人が、その男性になったりするのだろうか。
はやくその日が来てほしい気もするし、そうなることがちょっとだけさみしい気もする。

結婚はどういうものか?いいものか?という質問は、私が仲の良い既婚者にだいたい投げかける質問なのだけれど、
ある親友はこう答えた。

「いままでは、お父さんとお母さんが自分より先に死ぬのが怖かった。ふたりが死んだら生きていけないと思ってた。でも今は〇〇〇がいてくれるから、怖くなくなった」

わたしはこのエピソードがとっても好きで、結婚について考えるときにいつも頭に浮かべている。