ルブタン、ジミー チュウ、ブルーノマリ 羨望の春靴!
この春はニュースなシューズが続々とお目見えし、足元から春を先取りしたい気分。今季はいつもにも増して、バリエーション豊富なシューズラインナップに心をときめかせてくれるはず。なかでも、世界のセレブリティー


懐かしいプレス第1弾

私が大学生だったころ、空前の裏原ブームが起きました。
大学入りたての18歳の夏、宝島社「Smart」の別冊として、「mini」が創刊。

それまで、たしか、「Smart」の中で、女子裏原系(当時はその呼び名はまだ生まれてなかったけど)のちょい大き目のTシャツとか(NEIGHBORHOOD とかVictimとか)をピカデリーやらシマロンやらのスキニーカラーデニムとあわせるコーディネートが掲載されてた。

地方に住むティーンにとって、そんな情報量ではほとほと足りず、はたまたネットと言えば、接続時に「ジージージー」とこだまするADSLの時間制契約しかない時代なので、女子向け裏原情報誌の「mini」は待望であった。ほんと、穴があくんじゃ、と思うくらい、1ヶ月間なんども読み返したなぁ。

いまもなお、現役バリバリの今宿麻美、いま名前変わってるかな?な花楓などの個性派モデルはもちろん、紙面を飾るのは、読者モデルや人気ブランドの麗しいプレスたち。

当時頻繁に雑誌に出ていて、なおかつ美しく、個性的で印象に残っているのが、このお三方。

ヘッドポータープレス花香さん。※おそらく今も現役。あ、左の方です。

当時は店に入るのすらドキドキしたk3プレスの酒匂(現小森)さん

センスと美貌が光る、AGOSTプレス林さん

「mini」を愛読していたあのころから数年、東京に住むことになったわたしは、西郷山公園で子連れの酒匂さんを、早朝のサマソニ会場で林さんを目撃!!
「はっ!!!あ、、あの方はっ!!!」と興奮し、友達に説明するも、その感動が伝わらず。。。。
とっても残念でした。

生のお二人はやはり紙面で見るよりも細く、パンピー(死後)ではないオーラを発してらして、私ももう少々体を絞って、お洋服が似合うようにしなければと思ったのでした。

懐かしモデル第二弾

前回の「mcSiter」に続く、懐かしの青春時代モデル第二弾。

seventeen」で活躍されてた、真野きりなちゃん。
市原悦子さんとのトヨタデュエットのCMでも有名。
「かわいいふりしてあの子わりとやるもんだねと♪」という懐メロカバーとともに。

今から14〜15年前くらいの当時のST(っていまでも言うのかな?)は石川亜沙美、荒牧未希(現:未希)、田辺あゆみなどなど、ショーモデル兼雑誌モデルという「ザ・モデル」な方が多く、今のアイドル・女優の登竜門的なセブンティーンとは少々趣が違ってた。
そんな中でも超個性的なフェイスできりなちゃんは異彩放ってました。目力がパねぇっす。

つづいて、松沼リナさん。今はぶいぶい言わせるアタッシュ・ド・プレスとして大人系雑誌等でも大活躍。
わたしは「non-no」のイメージが強かったけど、「olive」も出てたんすね。
しっかし、このならび、なつかしー。左からリナさん、桜田宗久くん、ユアンくんですな。

最後に、、特に懐かしいという感じでもなく、今もバリバリモデルで活躍されているが、近況がインパクト大だった日登美さん。
クレヨンハウスという、オーガニック系のショップでたまたま立ち読みした「クーヨン」(クレヨンハウスが版元らしい)というそっち系の雑誌にて、日常生活を披露されてました。
今は田舎で4人のお子さんとともに、ビーガン、かつ、シュタイナー教育、加えてホメオパシーという、徹底した自然派な生活をされているそう。
わたし個人はそういった生活にあまり興味はないのだが(むしろちょっと拒否反応w)、自然派にありがちな妙なストイックさもなさそうで、肩肘はらず生活を楽しんでいて、お子さんに対しても過保護でない姿勢がとっても素敵だと思った。今は主婦研究家、という肩書らしい。

こう見ると、なんか三人とも雰囲気が似ている。

mc Sister

今も昔もファッション雑誌大好きなのだけど、情報の少ない(携帯、PC持ってない)田舎暮らしの14歳〜18歳に読んだ雑誌は、特集思い出せるほどすっごく心に残っているし、モデルの身長や出身地まで覚えちゃうほど熟読したなぁ。
セブンティーンも、友達と学校で回し読みしたCawaii!も、たまーに買った今はなきプチセブン(現PS)もすっごくたのしかったけど、やっぱり一番影響を受けたのは『mc Sister』。

わたしには、『olive』はちょっと敷居が高かったので、当時はやった渋谷系や、フレンチ系みたいなのをうまーく一般向けに濾過してくれてる身近感が良かった。

モデルもすっごく個性的で、かわいくて。

特に憧れたのは、関川陽子さんと、SHOKOさん。
SHOKOさんは今はアーティストとして活躍されているようで、ELLEonlineでコーナーを持っていらっしゃいます

関川さんは眉間のほくろと個性的なパッツンヘアーにあこがれたなぁ。↓これはシスター以降のような気がする。顔的に。

そんでもって、最近カルビーポテトチップスのCMみて気づいたのが、
平山葉子ちゃんが、蒼井優にくりそつ!!
ファニーフェイスで、国籍不明な雰囲気が!

あー、今みてもかわゆい。

伴侶とは

アラサ―の独身女性ともなると、そこそこお金に時間に余裕があり、自然と、まだまだ結婚のけの字も見えない友達が周囲に集まる。水曜は新大久保でサムギョプサル、土曜は白金の創作イタリアン、日曜は(多少の罪悪感で)自炊でも。といった感じで、お酒をがぶがぶ飲み、美味しいご飯をばくばく食べる。
鉄板でニンニクやキムチとともに焼く分厚い三枚肉、うにとかにとえびがたんまり乗ったピッツア、高知直送のかぼすポン酢をかけた白菜豚肉蒸し、とってもおいしいものを食べながら思うのは、田舎のお母さんにも食べさせてあげたいなぁ、ということだ。
「あ、おいしい」と思うと同時に、ハリセンボン春菜似の母の顔が浮かぶ。
私がおいしいと思うものを、大事な人に食べてもらいたいと思うから。
私が人生の伴侶を見つけたら、おいしいものを食べて思い浮かべる人が、その男性になったりするのだろうか。
はやくその日が来てほしい気もするし、そうなることがちょっとだけさみしい気もする。

結婚はどういうものか?いいものか?という質問は、私が仲の良い既婚者にだいたい投げかける質問なのだけれど、
ある親友はこう答えた。

「いままでは、お父さんとお母さんが自分より先に死ぬのが怖かった。ふたりが死んだら生きていけないと思ってた。でも今は〇〇〇がいてくれるから、怖くなくなった」

わたしはこのエピソードがとっても好きで、結婚について考えるときにいつも頭に浮かべている。

道尾秀介さん直木賞受賞おめでとー

たったいま、録画していた、道尾秀介情熱大陸を見終えた。
もっともこころに残ったのは、「僕は追い込まれた人を描くのが得意なんです」
というくだりだ。
撮影場所が神社(と思われる場所)ということ、季節が夏、しかも真っ盛りというよりも晩夏に近い頃、
太陽はさんさんとしながらも、どこかひやっとする雰囲気があるシチュエーションであることが説得力を増した。

私が初めて読んだ道尾さんの本は『向日葵の咲かない夏』だ。ストーリーは町で起きる一連の事件、事故の解決に終始しながら、それが進行する設定としては、主人公を主軸としたゆがんだ家族関係である。
主人公の男の子が抱えるとても深い苦悩と悲しみと、やるせなさと、、、その描き方がとってもえぐくて、ひとことで言ってしまえばグロく、いっきに読み終えてしまった。
小学生の主人公にとって、世界のすべては、家と学校と、その周辺の地域であり、客観的な大人から見れば、そのあたりはさっさと断絶してしまえばいいのでは、と思ってしまうような環境も、彼にとっては人生のすべてである。
ある一定の視点による、世界のゆがみと絶望。
大小の差はあれ、誰もが経験する痛み。
その表現が、とっても自然で、できれば触れたくないけれども触れずにはいられないアンタッチャブルな世界がそこにはある。

ミステリーとしてストーリがー進行しながらも、根底で描いているのは人間のエゴ、思い違い、独りよがり。
そんな二面性が彼の作品の最大の魅力であると思う。
スリードを誘発し、結果ドンデン返し、という手法がそこに活きる。

「追い込まれた人間」を目の当たりにする読者である私たちは、自分のイヤな面やいやらしい面、俗世的な部分をそこに見出す。ストーリーの結末を知りたいけれど、読み進めることがためらわれる。それは、自分自身を反映して、見つめることが怖いから。
ミステリーの枠にとらわれない魅力がそこにはある。

ソーシャル・ネットワーク

ハーバード大学生のマーク・ザッカーバーグが、「ザ・フェイスブック」という学生向けサイトを開発し、世界最大のSNSサイト「フェイスブック」へ成長させるまでを描いた映画。

Facebookの現ユーザー数は5億人、企業価値は500億ドルとも言われている。

現在のネットビジネスを牽引するソーシャルプラットフォームにおいて、まちがいなく神レベルであるFacebookの映画、しかもほぼ実話*1、ということで、ネット業界の末端の末端のその端キレみたいなところでご飯を食べている私は、「ま、話のネタにね。営業先で使えるかもね」という半ば義務感でレイトショーへ向かった。

ところがどっこい、予想に反して超おもしろい!!ここ最近観た映画の中でも断トツに好き!!

Facebookを開発するきっかけ、Facebook成長とともにマーク自身の成長や価値観の変化、カリスマ企業家への尊敬、自身をとりまく環境の変動、親友からの告訴、そして自省。

ストーリーは、ネット上で人間関係を築くという「リアル」とは真逆に位置するサービスFacebookの成長を描きながら進行するが、一貫して私たち観客がそのストーリーから感じるのはあらゆる関係性(友達、親子、兄弟、先輩後輩、上司と部下…)における生身のひと対ひとの関わりである。

マークは振られた彼女にぎゃふんと言わせるためFacebookを立ち上げ、napsterで有名な企業家ショーン・パーカー(ジャスティンティンバーレイクのチャラ感が激ハマり!)のカリスマっぷりに心酔して拡大路線へ変更、ショーンに肩入れするあまり共同経営者である親友を裏切り、そして告訴される。(訴訟1)
一方でFacebookにネタをパクられたと騒ぐハーバード大の先輩たちは、資産家の父親の顔色を伺い、双子の兄を立て、自分たちのプライドのためにマークを告訴する。(訴訟2)

まさに人間関係の縮図!!というと安っぽいけれど、私はこの映画のテーマは人間讃歌なのだと思う。

以下ネタばれ注意↓↓↓
結局二つの訴訟を示談=金で解決し、秘密保持にてカタをつけたマーク。
Facebook立ち上げのきっかけとなった元カノエリカの名前をFacebookで検索、フレンド申請を行う。
何度もキーを押して画面をリロード。しかし申請のステータスは変わらない。。。。

映画館でこのラストシーンを見ながら、「マークかわいい(はぁと)まるで、何度も新着メールを確認する片思いの女の子みたい」と思い、人間味あふれるシーンでほっこりしたのだが、
一方で、「リアルの人間関係はネットのように簡単にリフレッシュ(再読み込み)できない」という見方もできるなと思った。

青春ものとしてもとてもよくできているし、ネット英語やアメリカの事情(大学のランク、人種のお話)の勉強にもなるし、何度も楽しめる素晴らしい映画。

*1:すみません、こちら間違いでした。ショーン・パーカーが「完全なフィクションである」と、否定してますね。エドゥアルドとも引き続き親交があるとか。http://jp.techcrunch.com/archives/20110123sean-parker-calls-the-social-network-a-complete-work-of-fiction/